国重要文化景観とは?
景観の国宝と言われる「国重要文化的景観」は、単に景観の美しさだけではなく、景観が古代から現在までどのように形づくられてきたか、その成り立ちにも注目が置かれます。地域の自然と歴史、風土が相まって、文化的景観をつくり、その中でも重要とされる地域が国によって選定されるものです。
国内では61カ所の選定があり、平成30年2月13日にここ長井の「小出地区」「宮地区」「最上川流域」が選定されました。
その昔、ユーラシア大陸から断裂して日本列島が形づくられます。長井は海であったものが湖となり、平地に変わっています。
時とともに葉山連山と言われる山並みが断層崖としてせり上がって野川が流れ、そこが扇状地となって人々の生活の場が形成されていきました。
川は山から抜けたところで直角に折れ曲がり、一旦雨が降ると暴れ川となって、町の中心部に流れ込んでいました。
そのため野川扇状地上には自然段丘が作られ、馬の背状の微高地には、今でも各時代の遺跡を確認することができます。また、二つの最上川河岸段丘の存在も明らかになり、町場形成に大きく関わっています。
元禄7年(1694)に米沢藩の宮舟場が設置されたことにより、長井は宮地区の遍照寺を中心とした寺町、小出地区の白山神社を中心とした寺町とが繋がり、次第に町場が形成されて行きました。
最上川舟運では、宮舟場から米・青苧、生糸、漆などが京大坂へ、そして米沢藩には反物・古手・太物・金物・塩・干魚などが輸出されたとされています。
扇状地で生活を営む住民は、古来からこの暴れ川と闘い、治水利水に苦心を重ねてきました。
宝暦7年(1757)の大洪水では、町場や船着場まで被害が及び、幕府直轄による締切堤防の造営が行われました。
堤防は今なお最上川舟運で繁栄した舟運文化の面影を現代に残しています。江戸期、明治期、昭和期のそれぞれの堤防が見られます。
利水でも珍しい立体水路を見ることができます。それは、大樋川と野呂川の交差水路で、大水の時はオーバーフローで水量調節を図り、普段は白山舘への水路として活用したものです。
敷地内に水路を引き込み、利用する「かわど」は、現在の台所の役割を持っており、多くの町屋で使われていました。
文化施設「丸大扇屋」にその名残を見ることができます。